DIABETES NEWS No.35
    No.35
     1993 
     AUTUMN 
 

アレテウスの糖尿病概論
 最近、カッパドキアのアレテウスに心惹かれることがあって、彼の糖尿病に関する記述を読み返してみた。紀元2世紀頃に書かれたといわれているアレテウスの糖尿病概論は、糖尿病の増悪像をあます所なく記述して実に敬服させられる。「糖尿病はそれほど多くはないが、不思議な病気で、肉や手足が尿の中に溶け出してしまう。経過はどの疾患でも一様で、腎臓と膀胱とが侵される。患者は水を作ることを寸時もやめず、水道の口から流出するごとくその流出は絶え間ない。しかも病気の性格は慢性で形をとるまでに長い時間がかかる。しかし一旦、病気の体制が完全に確定されてしまうと、患者は短命である。溶け出しは急速で、死もまた急である。」(ヘテニイ他著、二宮隆雄訳『インスリン物語』岩波書店)
 肉や手足が尿の中に溶け出してしまうなどという唐突な表現はあるが、観察眼は実に鋭く深い。インスリン注射もないこの時代の糖尿病患者の死因はすべて糖尿病昏睡で、腎症などのような合併症は皆無であったであろう。
 アレテウスの時代から2000年を経た今日、糖尿病医療関係者は糖尿病の合併症をいかに予防するか心を砕いている。まだ患者教育の発達しなかった時代に発症した方々が、腎不全や網膜症、壊疽などに侵され、社会に痛々しい問題を投げかけている現状である。

現代の課題は合併症の予防
 来年(1994年)11月、日本で開かれる国際糖尿病会議のキャッチフレーズは、"preventing diabetes mellitus"である。本年11月には、厚生省と糖尿病財団の主催で、糖尿病合併症の予防キャンペーン大会が行われようとしている。アメリカでは9年間、180億円をかけて合併症を予防するため、DCCT(Diabetes Control and Complication Trial)という大事業を行ったと報告されている。頻回注射で強化インスリン療法を行い、HbA1Cを正常近くに保った群で合併症の予防に成功したといわれている。
 こんな時、日本ではまだアレテウスの時代に生きているような錯覚に陥らされる症例に出合うことがよくある。血糖が400、500mg/dL あっても、のどが渇かなければよいと指導されていたある少年の例などである。
 


失明率の減少
 糖尿病網膜症は成人における失明原因の第一位といわれていますが、最近の光凝固療法や硝子体手術の普及によって、糖尿病による失明率はかなり減少したのではないかと思われます。糖尿病センターにおいても内科と眼科との密接な連携により血糖のコントロール状態に合わせた、効率のよい早期治療が容易になりました。そして、多くの症例で視力が良好な状態のまま、私たち眼科医の目標である良性網膜症(悪化傾向の認められない安定した状態)にまでもっていくことが可能となりました。
 しかし、初診時からすでに視力障害のある重症患者やコントロールが不良で急激に網膜症が進行する患者においては、光凝固療法や硝子体手術を駆使して、たとえ失明こそ防ぎ得たとしても、ある程度の視力低下は免れないことが多いのです。

糖尿病黄斑浮腫の病理
 この視力低下の原因のひとつに糖尿病黄斑浮腫があげられます。黄斑は、網膜のなかでも光を感じとる神経細胞が最も密度高く集まっている部位で、物体を識別するのに最も重要な場所です。構造的にも血管がないなど、他の網膜とは大きく異なっています。そのため、糖尿病によって血管から赤血球や白血球以外の水分(血漿)が外に漏れ出すと、この漏出した水分が黄斑に蓄積されやすくなるのです。この水分の蓄積、すなわち浮腫により神経の機能が低下し、視力が低下するわけです。

最先端技術を用いた治療
 この黄斑浮腫に対して、当センターでも最先端技術を用いた治療法を積極的に取り入れ実行しています。レーザー光の波長を変えることによって特定の部位のみを選択的に治療する色素レーザーを用いた光凝固療法や、特殊な装置を用いる高気圧酸素療法、消炎剤や漢方などによる薬物療法、症例によっては硝子体手術を施すなどがあげられます。

内科・眼科の協力体制
 当センターでは、網膜症に理解のある内科医の強力なバックアップがあり、患者は無論のこと、私たち眼科医も安心して糖尿病黄斑浮腫の治療に取り組むことが出来ます。これによって、それぞれの段階の視力低下から、少なくとも物が識別できるよう、字を読むことができるよう、運転免許が更新できるよう、最大目標は正常視力へと、視力の改善によるクオリティ・オブ・ライフの向上をめざして日夜努力がなされています。
 


早期透析導入の必要性
 透析を導入される糖尿病性腎不全患者は近年著しく増加し、1992年のわが国における全透析導入患者 21,563名中、6,132名(28.4%)を占めています(図)。糖尿病性腎不全では、全身の合併症が高頻度であり、導入後の予後も不良であることから、早期に透析を導入する重要性が指摘されていました。
 しかし昭和47年の厚生省透析療法基準委員会の基準では、血清クレアチニン8mg/dL以上という客観的な数値が、必要以上に重視される結果となっていました。実際にはこの基準に達する以前に透析を必要とする糖尿病患者が多く、特に糖尿病性腎不全を対象とした透析導入基準の設定が要望されていました。

新しい導入基準の設定へ
 これに対し、平成1、2年度厚生省糖尿病調査研究班で、「糖尿病性腎不全の長期透析適応基準」が報告されました。これは、「腎機能」のみならず、「臨床症状」、「日常生活障害度」の3項目を設定し、各項目の重症度を点数化し合計60点以上になったときに透析の導入適応とするものです。「腎機能」は、血清クレアチニン8mg/dL以上を30点、5~8未満20点、3~5未満10点、「臨床症状」は、(1) 体液貯留(肺水腫、高度全身浮腫など)、(2) 体液異常(電解質、酸塩基平衡異常)、(3) 消化器症状、(4) 循環器症状(心不全など)、(5) 神経症状、(6) 血液異常(貧血など)、(7) 糖尿病網膜症(増殖網膜症)のうち、3個以上認める場合を30点、2個を20点、1個を10点、「日常生活障害度」は、軽度、中等度、高度の障害に対しそれぞれ、10~30点とされています。また60歳以上、高度の血管障害を合併する場合などは10点加算対象となっています。

予後改善への寄与
わが国において透析を導入された糖尿病性
腎不全患者数の推移(日本透析療法学会)
 当センターで過去に透析を導入した糖尿病性腎不全患者313名を、本基準の合計点数によって分類すると、50点(0.3%)、60点(3.5%)、70点(13.1%)、80点(52.7%)、90点(26.5%)、100点(3.8%)であり、導入基準である60点以上であったのは 99.7%でした。また点数が多いほど予後が不良である傾向を認めました。
 これらの点から、本基準は糖尿病性腎不全の臨床症状を加味した有用なガイドラインと考えられます。すでに臨床の現場では、おおむねこの基準に沿った判断で透析の導入が行われていますが、より客観的な基準が設定されたことによって、糖尿病性腎不全のより適切な透析導入が行われ、予後改善に寄与するものと期待されます。

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