DIABETES NEWS No.27
    No.27
     1991 
     AUTUMN 
 

国際化の必要性の一つ――インスリン製剤
 東京女子医大に糖尿病センターができたころ、すでに国際的にはインスリン製剤の濃度を1mL 100単位にしようという方向がありました。国際化社会となっていますので、今後、センターで使うインスリンは 100単位/mL という方針で、ディスポーザブルインスリン注射器もU-100用(目盛黒)だけ使用して頑張ってみましたが、困難を極めました。
 その後、イギリス、アメリカ、オーストラリアなど、日本をとりまく国々では、インスリンといえば 100単位/mL に統一されました。先進国では、日本とヨーロッパの中央あたりだけが、40単位/mL のインスリンを使う国々となりました。日本と 100単位/mL の国との間を往来する患者さんが、時としてこの単位の差によるトラブルを起こすことになります。
 最近、ペン型インスリン注入器ができましたが、この中のカートリッジ入りインスリン(ペンフィル)は、日本でも 100単位/mL です。このカートリッジ入りインスリンをU-40用注射器(目盛赤)で取って注射して、トラブルが起きています(2倍半の注射単位)。医療側の気をつけることの一つとなっています。

糖尿病教育スタッフの養成
 今年春の Diabetes News No.26 で、足治療士(podiatrist)、くつ専門士(pedorthist)の話をしました。先日、ある整形外科の先生から、最近は日本人でも足や靴の問題が多いと伺い、このような専門職種の必要性を話し合いました。欧米では何十年も前から podiatrist は確立した職種となって、足ケアの教育もしています。
 そのほか大切な糖尿病教育ナース職があります(現在ナース不足で逆行かも知れませんが)。すでに1974年、アメリカでは、イリノイ州に始まった糖尿病教育ナース養成をめざす AADE(American Ass. Diabetes Educators)というものがあります。現在、まだその資格を取ったものは 2,000名程度ですが、患者教育と糖尿病の実際の治療に大きい役割を果たし始めています。イギリスでも同様な糖尿病専門ナースを作ったことが、この10年間の糖尿病ケアにおける大きい進歩であったといっています。
 残念ながらこのような専門職種の資格も養成コースも、日本にはまだありません。必要と思ったら与えられる前に自分で始めるということが、国際化に対応する必要なことであったと反省しています。
 


IDF 学術会議の報告から
 IDF は現在、世界の91ヶ国が加盟しており、3年毎に学術講演会が開かれ、糖尿病学の進歩に関する研究報告が行われています。今年の会議は ADA(アメリカ糖尿病協会)の年次学術講演会との合同で、ワシントンDC(米国)で5日間にわたり開催されました。発表は多くの部門に分かれており、私は主に糖尿病性合併症に関する発表を聞きましたので、2~3のトピックスについてご紹介します。
 糖尿病性足病変に関して、英国では15~20%の糖尿病患者に足の病変が認められますが、糖尿病性足病変の成因を Ankle pressure index(API)(足首の動脈圧/腕動脈圧)によって、2つに分けていました。すなわち、API が 1.2以上(正常)の場合は神経性要因とし、1.0~0.8以下の場合は末梢循環障害をもつので神経虚血性要因としておりました。
 網膜症に関して、NIH(米国国立衛生研究所)から出された糖尿病性網膜症初期治療研究(n=3,711人)によれば、アスピリン 650mg の5年間服用はプラセボと比較して、網膜症の進展に何等影響を及ぼさず、無効でした。日本でよく使われる小児用バッファリンの 81mg と比べかなり大量ですが、副作用としての硝子体出血はなかったとのことです。
 カナダからの報告で、1日13回の頻回食は3回食に比べ、血糖、インスリン分泌、中性脂肪が10~20%も減少したという発表がありました。食事の内容や13回食という回数に問題はありますが、興味ある報告でした。
 糖尿病性インポテンスの治療に関する発表が英国とサウジから2題あり、いずれも陰茎吸引器による優れた治療成績を示していました。この吸引器は陰茎に注射器のようなものをかぶせ、陰圧にして勃起させるもので、原理はいたって簡単で、私どもも検討中です。

糖尿病性神経障害に関するシンポジウム
 IDF の本会議に関連した18のサテライトシンポジウムの1つで、糖尿病性神経障害に関するシンポジウムがニューヨーク(米国)で3日間行われ、基礎から臨床に及ぶ新知見が次々と発表されました。
 Dr.Watking(英国)は糖尿病性自律神経障害(DAN)の自然経過について発表し、約50歳で DAN(+)患者の10年生存率は65%で、DAN(-)患者の85~90%に比べ有意に低いという成績を示しました。また、起立性低血圧やインポテンスなどの自律神経症状は10年間、あまり変化しないという成績も示していました。
 糖尿病性神経障害に対するアルドース還元酵素阻害薬(ARI)の研究もまだ盛んに行われていましたが、優れた動物実験の成績に比べ、臨床成績は依然としてあまりかんばしくないようでした。
 


日本の小児糖尿病サマーキャンプ
 丸山博先生が日本で始めてインスリン依存型糖尿病(IDDM)の子供達のためにサマーキャンプを行ったのは1963年でした。その後キャンプは子供達が糖尿病について学び、あるいは自己注射等の技術を習得する自己学習の場として、また同じ病気を持つ友を得て悩みをうちあけ語り合う場として、貢献してきました。30年近くたった現在、初期に参加したキャンプ卒業生達も成人し、就職、結婚、そして子育て等充実した人生を送っている方が増えています。
 日本におけるキャンプは1968年までは丸山先生の開いた1ヶ所のみでしたが、その後増加し1991年には全国36ヶ所で開催されました。キャンプスタッフは医師、看護婦、栄養士、カウンセラーなどの専門職と、その専門を学ぶ学生で、殆んどボランティアの方々で構成されています。またキャンプの財源は、子供達の参加費、糖尿病協会の補助金と寄付金から成り立っています。ボランティア活動のためスタッフの確保が難しいこと、個人の経済的負担が大きくなることなどから、長期キャンプを開く事は難しいのが現状です。

三つの大きな違い
 6月にアメリカで第14回 IDF(国際糖尿病連合)の学術集会が開かれ、その分科会として国際小児糖尿病サマーキャンプのシンポジウムが、実際に毎夏使うキャンプ場で行われました。私はその会に参加し、アメリカのキャンプの現状を見るチャンスを得ました。会場となった Elliott. P. Joslin Camp はボストン郊外にあり、緑に囲まれた広大な敷地に宿泊施設、運動場、遊戯施設、ボート漕ぎや水泳も可能な湖を備えた立派なキャンプ場でした。
 日本との違いを幾つかあげてみると、
 (1)スタッフはキャンプ卒業生:子供達にじかに接するスタッフは殆んど自ら IDDM の方でした。つまり小さい時にキャンプを体験した患者さん自身が成長して、様々な資格(カウンセラー等)を持ってキャンプを企画し、子供達を支えているのです。
 (2)ボランティア:日本に比べ欧米ではボランティア活動が盛んです。今回のシンポジウムを手伝って下さった人達もキャンプスタッフ等のボランティアの方々が中心でした。キャンプのアスレチック施設も 500人のボランティア活動で作られたものでした。
 (3)企業の援助:これらキャンプの経済的な援助は企業からも多く行われています。このようにハンディキャップを持つ人に対する人的・経済的な助け合い(people helping people)はごく自然に、あたり前の行為として定着しているようです。

日本のキャンプに望むこと
 最近日本でもキャンプ卒業生がボランティアとして参加することが多くなってきました。IDDM の子供達がもっと自分に自信を持って社会にチャレンジし、後輩にその道を示していく、そういう人が一人でも育っていくためにキャンプが役立っていくことを願ってやみません。

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