DIABETES NEWS No.123
 
No.123 2011 July/August

多くの方々に支えられた14年間に感謝
 2011年3月末日をもちまして14年間に亘り務めました東京女子医大第三内科(糖尿病・代謝内科)主任教授ならびに糖尿病センター長を定年退職致しました。ふり返りますと、糖尿病患者さんの初期治療から重い合併症をもつ患者さんの治療まで、幅広く糖尿病センターで対応できるようにとの思いで築きあげた診療体制を発展させるように努力してきました。優秀な教室員、コメディカルスタッフに恵まれ、「患者さんのために」を合言葉に、一丸となって診療にあたってまいりました。長年、糖尿病センターとの医療連携にご協力いただきました多くの病院・クリニックの先生方にもこの場をお借りして心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

糖尿病急増時代の糖尿病センターの役割
 私がセンター長を務めた期間は、折しも日本における糖尿病患者数が急増した時代でした。すなわち、厚労省の糖尿病実態調査のデータが初めて発表されたのは1997年であり、以来10年間に糖尿病患者さんと予備群の数は約60%も増えたことが明らかになりました。また、1998年には糖尿病性腎症による腎不全が透析導入原腎疾患の第1位になり、今もその比率は上昇を続けています。そうした時代にあって、糖尿病・代謝内科と糖尿病眼科とが一体となり、さらに病棟には透析ユニットを併設している女子医大糖尿病センターは、今も大変ユニークで先進的な糖尿病専門医療施設であると思います。

データベースの構築から多くのエビデンスの発信を
 この間構築してきました糖尿病センターのデータベースによれば、当センターには約20,000人の糖尿病患者さんが定期的に受診されています。これからも豊富な臨床データを元に、糖尿病のコントロール状況と合併症の抑制、新しい薬物治療の効果など、多くのエビデンスを糖尿病センターから発信していくものと期待しています。

新しい時代へ センター長の交代
 私の後任の糖尿病センター長には、内潟安子教授が就任致しました。これからも一層「患者さんのために」を追求し、スタッフ一同糖尿病診療の進歩と糖尿病センターの発展のために全力を注いでいくことと思いますので、ひき続きご支援のほどお願い申し上げます。
 


 3月11日の東日本大震災から約2ヶ月経とうとしています。だんだんその時の様子を患者さんや関係者からお聞きすることができるようになりました。一瞬のうちに津波が押し寄せ、薬ひとつ持ち出しできず、高台に走って避難されたとのこと。故郷を離れて不自由な生活をされておられます被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

平常時の危機管理策を考える
 阪神淡路大震災後に災害マニュアルのパンフが作成されましたし、震災を経験された医療従事者の方々から話を聞く講演会などもありました。常備薬の危機管理策が注目をあびるようになった 9.11の同時多発テロ事件の後、インスリン注射に関連した危機管理意識はどうかと、20から40歳の外来通院中の1型糖尿病患者さん60名(平均HbA1c7.0%)に調査したことがありました(使い捨てのみ使用26名、入れ替えのみ使用12名、両方使用22名)(糖尿病、2004)。使い捨てペン型インスリン製剤を使用している方の76%は1ヶ月ほど余分に保管していましたが、24%は余分に持ち合わせていませんでした。また、自宅以外に保管している方は全体の24%で、残りの方は自宅にのみでした。注射針は90%の方が余分に持っていました。
 この調査を踏まえて、当方が外来でお話する簡単な最小限のインスリン治療の危機管理策は、第1にペンは少なくとも1本はかばんの中に、会社や学校にも1本置いておこう、できれば2週間分を置いておこう2種類使用しているなら2種類を保管しよう、室温でもいいから置いておこう(タオルに包めばなお良いし、古くならないように交換する)。第2に災害時パックには基礎インスリンよりも追加インスリンの本数を多く入れておく、第3に当座の水分も保持することです。第4にお薬手帳やそれに変わる薬の名前の書いてある紙(薬局や病院からもらうもの)を身につけておく。これらは経口血糖降下薬でも同じです。
 外来ではなにかにつけてこのような危機管理策をお話ししてはいますが、今回は平常時に考えている危機管理策の限界を痛感しました。避難サイレンとともに何も持たずとにかく迅速に高台に移動することを指示されるので、インスリン1本持って行けなかった、室内から薄着のまま避難したので寒くてかぜを引いてしまったなどなど。

それでもなんとかやっていく策を
 避難中に生徒がインスリンを持っていないことに気付き、教室にもどって取って来てくださった学校の先生がいました。基礎インスリンを持っていなかった方は会社に宿泊することになって追加インスリンを夜中に数回注射して事なきを得ました。多くの方々は帰宅難民になりながら血糖測定をしないで低血糖、高血糖にならずに数時間歩いて帰宅できました。
 平常時にしっかり考えて準備し、その時になったら準備不足があっても、ベストではないまでも"ベターの策"を実行できるように患者さんと危機管理策を共有しておきたいものです。

糖尿病センター長就任にあたって
 東日本大震災後の放射能危機の最中、4月1日に糖尿病センター長に就任しました。糖尿病センターのいろいろなあるべき機能を再確認し、そして危機管理をしっかり考え、皆様の糖尿病センターとして引き続きご厚誼いただきたきたくお願い申し上げます。
 


 東日本大地震により被害を受けられました皆様に、糖尿病センタースタッフ一同、心よりお見舞い、またお悔やみを申し上げます。

発刊の目的は"チーム医療"
 Diabetes News は、1985年春に発刊されました。発刊の背景について当時のセンター長(当時は所長)平田幸正先生は創刊号の第1ページ目にこう記しています。「近代医学はその予防と治療の可能性を求めて各種の進歩をとげてきた。そのなかでも、医療スタッフ同士の綿密な連絡、医療スタッフと患者およびその家族さらに環境との連帯の重要性を浮き彫りにしてきた。このたび Diabetes News を発行する目的は、多様化し重症化した糖尿病に対して、患者も含めて治療に関与する各パートの連絡をより綿密にし、治療効果をあげることにある。」と(下線は原文のまま)。
 今となっては当たり前のように語られる"チーム医療"ですが、1985年当時は、妊娠外来でチーム医療が成功を収め始め、次々と特殊外来がチーム医療の考えのもと立ち上がったころでありました。今のように瞬時に新しい情報が入手できなかった時代ゆえ、紹介いただいた先生、糖尿病センターの医師、患者さんとご家族、コメディカルとが、同じ話題を同時に学ぶ場が必要とされたことでしょう。Diabetes News の当時の役割は大きかっただろうと推察いたします。

Diabetes News―ご支援を糧に26年の歴史
 Diabetes News は当初の使命をまっとうすべく2011年まで、1号も休むことなく、また2003年からは隔月紙として発行されています。このように、病院(センター)が自主的に26年間もの長い間、継続して糖尿病の療養を支援している媒体は他にないのではないかと思います。毎号、時節に合わせた最新のトピックスを取り上げ、また趣向をこらした紙面づくりがなされています。
 1998年に読者アンケートを一度おこなったことがあります。この時にいただいた評価が、今日までの継続できた原動力でありました。ご自分の開催する「糖尿病教室」のヒントにしているという実地医家の先生もおられました。今、過去の1~122号までファイルにまとまった Diabetes News の厚い束をほどき一つ一つ読み返してみると、皆様のご支援を糧にしてできたセンターの財産の一部と実感する次第です。

編集担当の交代に際し
 このたび若輩ながら Diabetes News の編集を引き継ぎ、第123号より担当いたすことになりました。糖尿病の治療、糖尿病を取り巻く社会環境が加速度をつけて変化する中、初心を忘れず Diabetes News の使命を果たすことができるよう微力ながら尽力する所存ですので、よろしくご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。
 

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