3月11日、東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震と大津波により、多くの方々の尊い人命が失われ、広域にわたって住み慣れた土地と多数の家屋が失われました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞申し上げます。
3月5日に女子医大弥生記念講堂で最終講義をさせていただきました。内容については、3頁に佐倉先生がまとめて下さっています。私自身の40年間の内科医としての歩みを振り返りますと、東大第三内科、自治医大内分泌代謝科そして東京女子医大糖尿病センターと、総合内科から糖尿病・代謝内科へと徐々に専門性を高めながら研鑽を積むことができました。その間、小坂樹徳先生、赤沼安夫先生、葛谷健先生、大森安恵先生とわが国の内科学、糖尿病学をリードしてこられた素晴しい恩師の先生方の下で学ぶことができたことは私の大きな財産となりました。
最終講義では、私の研究テーマとして取り組んできました糖尿病の成因と治療に関する成果の一端を報告いたしました。治療薬については、グリクラジド、グリメピリドなどの SU薬、インスリン抵抗性改善薬トログリタゾン、速効型インスリン分泌促進薬ナテグリニド、DPP-4阻害薬シタグリプチン、ビルダグリプチン、そして多くのインスリン製剤、GLP-1受容体作動薬などの臨床開発にも深く関与することができたのも貴重な経験でした。
女子医大では、日本糖尿病学会をはじめ、日本成人病(生活習慣病)学会、日本糖尿病合併症学会、日本糖尿病・妊娠学会、日本糖尿病眼学会など、多くの学会・セミナーを主宰させていただきました。それぞれの学会において、糖尿病センターの研究成果を発表するとともに、学会の運営には教室員の総力を結集して、それぞれ盛会裡に終えることができました。
女子医大における臨床実習の責任者を長年務めていましたので、糖尿病センターでの臨床実習にはとくに力を注いできました。私の教授在職中に実習中の回診や試問で接した医学生は約1,600名に及びますが、患者さんの訴えによく耳を傾けること、細かな身体所見も見逃さないこと、病気を診るのではなく病める人を診ることを繰り返し指導してきました。教え子たちが全国各地で診療にあたっている姿を思い浮べることは教師としての大きな喜びです。
糖尿病センター開設以前の第二内科(小坂樹徳主任教授)に入局し、以後、糖尿病センター初代所長平田幸正教授、2代所長大森安恵教授、そして前センター長岩本安彦教授のもとで、診療、研究、そして、最後は診療教授として研修医教育にも携わり、私は本年3月定年を迎えました。糖尿病センター以前の5年と糖尿病センターになってからの 36年の通算 41年間、糖尿病センターは糖尿病の治療・研究の両面でいち早く糖尿病のサブスペシャリティ化とチーム医療の確立に力を注いできましたが、真近にいたものとして記録に留めてみます
私は1973年、エストロゲンのラジオイムノアッセイの研究に従事している折に大森先生の糖尿病妊婦の血中エストロゲン測定のお手伝いをさせていただき、それがきっかけで糖尿病と妊娠の治療や研究に入りました。
1921年のインスリン発見以前、糖尿病女性の妊娠は destruction であると言われていました。インスリン発見以降も糖尿病患者の妊娠・出産には、自然流産、子宮内胎児死亡、奇型など多くの問題が残されていました。米国ジョスリンクリニックのホワイト女史、欧州ではコペンハーゲン大学のぺダセン教授が大牽引者となって世界の糖尿病妊娠の治療を大きく前進させ、わが国では大森先生が妊娠外来という専門外来を誕生させ、全国レベルの研究会を立ち上げ、日本の糖尿病妊婦の治療と研究を今日のレベルにまで発展されてこられました。大森先生は、「糖尿病妊婦の治療のてびき」(医歯薬出版、1996年)で、糖尿病の患者さんが問題なく妊娠、出産できるようになったことは 20世紀科学がもたらした偉大な業績のひとつであるという Fleisher の言葉を引用されておられます。
糖尿病一般外来の中から妊娠外来が専門外来として形作られたのは1973年で、妊娠外来がチーム医療という概念を糖尿病診療の中に最初に持ち込んだ専門外来といえます。科や所属を超えて、内科医、産科医、新生児医、眼科医、助産師、教育ナース、栄養士が、「互角の実力をもって協力してこそ初めて患者さん中心の医療をおこなうことができる」という大森ポリシーのもと、ひとりの患者さんに多角的に、そして総合的に関わるチーム医療が機能し始めました。チーム医療によりどのような良いことがあるのか、この回答はその後の妊娠外来の成果そのものでした。
2004年研修医制度の改革により、東京女子医大同窓会の至誠会が運営している至誠会第二病院は東京女子医大の協力型卒後臨床研修病院となりました。私は東京女子医大の診療教授として至誠会第二病院における研修医指導責任者として研修医指導及び指導医の育成に携わってきました。
その際長く係わってきた人間関係教育及び糖尿病患者さんの教育が大変役立ちました。
至誠会第二病院における研修がきっかけで糖尿病センターへ入局した先生もおられ、大変やりがいのある仕事でした。
糖尿病人口の増加とともに、妊娠糖尿病人口も増えるものと考えられています。1型でも2型でも糖尿病や妊娠糖尿病の女性でも等しく安心な妊娠・出産を叶えてあげたい、そのために早期発見、計画妊娠の普及を望んでやみません。
糖尿病センター長 岩本安彦教授の最終講義が3月5日の午後、本学弥生記念講堂で行われました。糖尿病センターの医師、看護師、検査技師はもちろんのこと、大学内の教職員、糖尿病センターに在籍されていた先生方をはじめ、先生にゆかりの深い多くの方々の前で、「糖尿病急増時代を患者さんと歩んだ 40年間の軌跡―糖尿病のトータルケアを目指した臨床と研究―」と題して、大学を卒業されてから今日に至るまでの臨床・研究そして教育の足跡を講演されました。
先生は1971年に東京大学医学部を卒業し1973年に同第三内科糖尿病研究室に所属して研修を開始され、そして赤沼安夫先生の指導の下、春日雅人先生(現国立国際医療研究センター研究所長)等と共同研究でインスリン作用に関する多くの論文を発表されました。1978年から1981年にかけて米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学されて、インスリン作用機序、膵内外分泌機能相関の研究に打ち込まれました。帰国後、1983年から1994年まで赴任されていた自治医科大学内分泌代謝科において、異常インスリン血症やプロインスリン分泌に関する数多くの先駆的な研究をされました。
岩本先生は1994年に東京女子医科大学第三内科学助教授として赴任され、1995年に教授、そして1997年4月に主任教授に就任されて、多くの教室員を指導して多大な業績を挙げられました。また糖尿病センター長として、膨大な数の糖尿病を中心とした代謝疾患の診療にあたられました。糖尿病センターには、成因、治療、眼合併症、腎症、フットケア、小児・ヤング、妊娠、心血管障害、疫学、神経障害、肥満・脂質異常症・動脈硬化の研究・診療グループがありますが、岩本先生は、最終講義において、それぞれのグループの成果の一端を示しながら、糖尿病・代謝疾患のトータルケアを目指して取り組んでこられた業績の数々を披露されました。
臨床面で岩本先生のご業績として最も特記すべきことは医療連携の大きな発展ではないかと思います。実地医家を対象としたものに限っても、糖尿病センターとの医療連携の会、そのアドバンス・コース、糖尿病研修プログラム、それにこの Diabetes News の拡充が挙げられます。また、大学病院の地域連携室の責任者も長く務められました。
岩本教授は3月一杯で第三内科学主任教授・糖尿病センター長を退任されましたが、外来診療の一部は継続されます。また、多くの学会や研究会での講演・執筆活動を通じて、引き続き糖尿病・代謝学の発展に尽くされますので、今後も我々糖尿病センタースタッフや皆様方とともに歩まれることになると期待しております。長い間どうも有難うございました。そして、今後も益々のご活躍を期待しております。