今年糖尿病センターは開設35周年を迎えました。1975年、初代所長に平田幸正先生をお迎えして、当時東京女子医科大学がめざしたセンター制の一翼を担う先進的糖尿病専門医療施設として開設された糖尿病センターは、「糖尿病があっても糖尿病をもたない人と同じ人生が送れるように医療の手をさしのべる」を目標に今日まで歩んできました。糖尿病治療の目標は、高血糖に基づくさまざまな合併症の発症・進展を予防することにあります。発症間もない糖尿病患者さんに対する初期治療から、腎症、網膜症、神経障害、さらに足病変(壊疽)、虚血性心疾患や脳卒中などの合併症に苦しむ患者さんの診療まで、スタッフ一同全力を注いできました。
糖尿病センターの特徴の一つは、糖尿病代謝内科と糖尿病眼科が一体となって緊密な連携の下に患者さんの診療にあたっている点です。重症の網膜症(増殖網膜症)や白内障などの治療で入院される糖尿病患者さんに対しては、センター所属の内科医が血糖コントロールをはじめ全身管理を担当し、一方、糖尿病眼科の医師が眼科的治療にあたる「2人主治医」体制で診療にあたります。また、糖尿病性腎症によって慢性腎不全になった患者さんに対しては、センター内の腎臓グループの医師が診療にあたり、糖尿病センターで血液透析も導入します。さらに、透析中の患者さんが網膜症の治療や足病変の治療のために入院するような場合には、センター内の透析室で透析を続けることができ、大変便利な診療体制といえます。多くの他施設では、長年糖尿病外来に通っていても透析に到ってしまうと、腎臓の専門家に転科するのが一般的ですが、糖尿病センターは一貫した診療を続けることができる体制を整えています。
当センターの外来診療体制では、糖尿病一般の外来に加えて、糖尿病眼科や腎症のほかに、小児・ヤング外来、フットケア、糖尿病妊娠、神経障害、心臓病、遺伝相談、脂質異常症などの専門外来があり、それぞれの専門分野に経験の深い糖尿病専門医が診療にあたっています。
例年 7 月に開催しています「糖尿病センター同門会」を、今年はセンター開設35周年と同門会設立20周年を記念して拡大した形で開催する予定です。
MODY(maturity onset diabetes of the young)は若年で発症し、優性遺伝で親から子に伝えられる遺伝性の糖尿病です。原因遺伝子として6種類が知られていますが、昨年、新たな遺伝子が明らかにされました。その遺伝子とは"インスリン遺伝子"です。いかにも糖尿病に関係のありそうな遺伝子ですが、意外にもその変異が MODY の原因となるとは誰も考えていなかったのです。
インスリン遺伝子の変異例は既に1983年に報告されており、その臨床的特徴は著明な高インスリン血症でした。このため、インスリン遺伝子異常は高インスリン血症の鑑別疾患として注目され、糖尿病の成因分類の中では「その他特定の機序・疾患によるもの」に含まれています。
生下時直後から数カ月の間に発症する新生児糖尿病(neonatal diabetes mellitus)が知られています。インスリン分泌欠乏が高度ながら、膵島関連自己抗体が陰性であるような新生児糖尿病症例において、Kチャネル遺伝子ならびにスルフォニルウレア受容体遺伝子に異常が見出され、2006-2007年に脚光を浴びました。しかし、変異が同定されない症例(家系)も存在し、そのような家系を集めて連鎖解析を行ったところ、染色体11番の特定の領域に原因遺伝子が存在することが示されました。そこにはインスリン遺伝子が位置しているため、変異検索を行ったところ、実際にインスリン遺伝子の変異が複数証明されたのです。
2009年末には、インスリン分泌障害を示す MODY 症例においてインスリン遺伝子変異が見出されました。また、中年で発症した家族性の糖尿病においても変異が同定されました。以上から、インスリン遺伝子異常による糖尿病の発症時期は、生下時直後から中年までと極めて広い多様性があり、重症度もケトアシドーシスで発症するものから食事療法単独でコントロール可能な症例まで存在することが明らかになりました。診断時年齢を含めた臨床症状は、インスリン遺伝子のどの部分に変異が存在するかに依存すると考えられます。変異を有する患者さんでは異常なアミノ酸配列のインスリンが全体の 50%合成されますが、変異の場所によっては正しい折りたたみが障害されるため(misfolding)、立体構造が異常となります。立体構造に問題があるインスリンはタンパクの品質管理を行っている小胞体(ER)で認識され、不良品として処理されます。高度な不良品が製造され続けると小胞体の負担が過剰になり(ERストレス)、最終的にβ細胞は死滅すると考えられており、この説を支持する研究成果が多数あります。より不備の多いインスリンを作る変異であるほど、早期に糖尿病を発症し、早期にインスリン分泌が枯渇すると考えられます。
インスリン遺伝子異常発見当初の症例はたまたま高インスリン血症を発端としていたため「インスリン遺伝子異常=高インスリン血症」という構図ができてしまいました。しかし、正しい科学的アプローチによって糖尿病の発症や病態において極めて重要な発見に至りました。この発見によって糖尿病の成因分類も見直しが必要になると思われます。
糖尿病が、冠動脈疾患や脳卒中など、心血管イベントに対する危険因子であるにも関わらず、厳格な血糖管理が必ずしも心血管イベントの予防に有効でないことが、最近の複数の大規模臨床試験で示されました。また実際の臨床の現場において、良好な血糖管理目標を長期間にわたって達成することは容易でないことも事実です。これらのことから糖尿病患者における心血管イベント予防には、血糖管理のみならず、血圧の厳格なコントロールやスタチンによる脂質管理、さらには肥満の改善や禁煙指導などを組み合わせた集学的治療を行うことの重要性が強調されています。
糖尿病患者の心血管イベント予防を目的とした集学的治療に、アスピリンなどの抗血小板療法を加えることが、一部のガイドラインで推奨されています。しかしその有効性および安全性は、糖尿病患者全体において検証されたエビデンスとはいえません。そこでアスピリンの、日本人2型糖尿病患者に対する心血管イベントの一次予防効果を明らかにする目的で、JPAD(Japanese Primary Prevention of Atherosclerosis with Aspirin for Diabetes)試験が、熊本大学の小川久雄教授が中心となって行われ(JAMA 2008;300:2134-2141)、内外で非常に注目されました。
JPAD試験では、全国 163施設からリクルートされた 30~85歳の2型糖尿病患者 2,539人が対象となり、81あるいは 100mg/日の低用量アスピリン群 1,262名と非アスピリン群 1,277人に無作為に割り付けられ、中央値で 4.37年経過観察されました。全例での解析では、一次エンドポイントとして定義された動脈硬化性心血管イベントがアスピリン群で 68件(5.4%)、非アスピリン群で 86件(6.7%)発生し、アスピリン群で少ない傾向でしたが有意な差には至りませんでした(ハザード比 0.80、95%信頼区間 0.58-1.10、p=0.16)。ただし 65歳以上の糖尿病患者 719人のみを対象としたサブ解析では、アスピリン投与群で 32%の有意なリスク減少が認められました(p=0.047)。
この JPAD 試験を含め、アスピリンの糖尿病患者における心血管疾患の一次予防効果を検証した6件の研究(対象患者合計 10,117名)のメタ解析の結果が最近発表されました(BMJ 2009:339:b4531)。対照群との比較で、アスピリン群における主要心血管イベント、心筋梗塞、脳卒中、心血管死亡、全死亡のいずれも、有意な減少は見られませんでした。これらの結果から、全糖尿病患者に対して心血管イベントの一次予防を目的としたアスピリン投与は、現時点では推奨できないと結論しています。
最近改定・出版された、わが国の「脳卒中治療ガイドライン 2009」では、非心原性脳梗塞患者における再発予防、すなわち二次予防に対し、抗血小板薬の投与をグレードAのエビデンスとして推奨していますが、一次予防としての抗血小板療法については記載されていません。無症候性脳梗塞を認めた場合においても、脳出血発症に対する懸念から、抗血小板薬の投与は個々の症例における十分な検討が必要とされ、特に降圧療法が重要とされています。
糖尿病患者の心血管イベントの一次予防を目的とした抗血小板薬の投与は、現時点では一律に行うべきではなく、個々の患者におけるリスク/ベネフィットの検証が必要と思われます。