第23回日本糖尿病合併症学会は、10月3日(金)・4日(土)の2日間、日本都市センター(東京)で開催されます。糖尿病合併症学会は、日本糖尿病学会の唯一の分科会として、糖尿病合併症の臨床と研究に関心をもつ医師・研究者・コメディカルスタッフが一堂に会し、最新の研究成果を発表する場であります。
糖尿病の治療の目的は、糖尿病に特有の細小血管症と動脈硬化に基づく大血管症の発症・進展を予防し、糖尿病をもっていても糖尿病をもたない人と同様の QOL を保つことにあります。しかし、現実には糖尿病の治療が遅れ、コントロールが不良なままに推移する患者さんが多く、合併症が進み、症状があらわれてから糖尿病の治療をはじめる人も少なくありません。
本学会では、6題のシンポジウムを企画いたしました。「糖尿病患者における心・脳-腎連関」では、腎症と大血管症との関わりについて、さまざまな観点から発表いただきます。「糖尿病患者における coronary intervention」では、冠動脈疾患治療のエキスパートに最新データの発表をお願いしました。「末梢動脈疾患(PAD)治療の最前線」では、わが国でも最近増えつつある末梢動脈疾患の治療法について、また「糖尿病網膜症の診断と治療に関する最近の知見」では、網膜症診療の最前線について、それぞれ第一線の先生方から報告されます。「糖尿病血管合併症の発症機序に対する基礎的アプローチ」では、合併症の成因に関する基礎的研究の最新の成果について発表いただきます。今回は多くのコメディカルの方々にも参加いただきたく、「糖尿病合併症予防における療養指導士の役割」と題する公募シンポジウムも企画いたしました。さまざまな職種の方から療養指導士が果たす役割についての興味深い報告が行われます。
受賞講演では、Expert Investigator Award(槇野博史先生)、Outstanding Foreign InvestigatorAward(Hans-Henrik Parving 先生)、Young InvestigatorAward(4名)の受賞者から、それぞれ研究成果に関する発表が行われます。
◆ | 市民公開講座に多数参加を! 10月5日/女子医大弥生記念講堂 |
本学会終了翌日の日曜日に、糖尿病合併症に関する「市民公開講座」を企画しました。特別講演演者には、政治評論家の三宅久之先生をお迎えして「不良患者の28年」と題して、糖尿病との長年に亘る上手な付き合いについてご講演いただきます。第2部では、東京女子医大のスタッフが総力を挙げて合併症に関する講演を行います。多くの皆様のご参加を期待しています。(詳細はこちらをご覧下さい。)
鳥取大学の武田 倬先生が中心になって始められた小児糖尿病大山サマーキャンプを全期間手伝ったこともあって、発足したばかりの東京女子医大糖尿病センターに1975 年7月鳥取から赴任することが決まった時、私は小児糖尿病の診療にもっと携わってみたいと思いました。
当時の女子医大の小児糖尿病外来は1号館1階の小児科外来で、丸山 博先生(1963年 日本で初めて小児糖尿病サマーキャンプを開催)を中心に行われており、18歳以上の患者さん達もそこで診療を受けていました。私はすぐボランテイアで小児科外来を手伝わせていただくことにしました。当時は土曜日の朝5時から小児科外来がオープンしていたので、前日は血糖室の技師さんたちと泊まり込んだものです。また、清里や霊山で開催された東京つぼみの会小児糖尿病サマーキャンプにも夏休みを割いて数回参加しました。そうこうしているうちにすこしずつ18歳以上になったヤング糖尿病患者さんを診察することになりました。
小児糖尿病患者にとって神様のような丸山先生から患者さんを引き継ぐのは大変でしたが、1977年 HLA を研究していた中沢道夫先生(鹿児島大)が平田幸正教授を慕って入局し、人員が増えたので、1980年4月からヤング外来は糖尿病センター外来で行うことになりました。同年9月、ヤング糖尿病の会(「どよう会」)を発足、新聞の発行、ピクニック、一泊研修旅行、クリスマスパーテイなどを開始しました。
1983年8月28日から31 日、丸山先生の推薦によりヤンググループは第3回小児若年糖尿病全国ジャンボリー(於 神宮の森・日本青年館)を開催しました。平田教授司会のパネルデスカッション「学校、就職、結婚、妊娠」(大森安恵教授、武田、丸山両先生の参加)は好評で、「上を向いて歩こう」などの作曲で有名な故中村八大氏の「中村八大の糖尿病物語」と題したピアノの弾き語りと自分の音楽人生と糖尿病の話は感動的で、大きな感銘を受けました。
私は1986年9月に城西病院に赴任し、非常勤講師として引き続き土曜日のヤング外来を続けることになりました。ヤング外来は大谷敏嘉先生ついで横山宏樹先生に引き継がれ、多くの優れた論文が世に出ることになりました。
その後、1990年 第6回ヤング DM トップセミナーと1997年 第10回小児若年糖尿病全国ジャンボリーを主催しました。セミナーでの本学腎臓外科の寺岡教授の膵移植、腎移植の講演がきっかけとなり、10歳発症で透析中の1型糖尿病患者さん(当時30歳)が1990年12月に膵腎同時移植を受けられたことは糖尿病センターにとってもエポックメーキングなことでした。
その後1987年に米国 NIH から赴任された内潟安子先生に引き継がれております。小児1型糖尿病の長期予後に関する国際比較研究(DERI)で有名な慈恵医大田嶼尚子教授は、専門病院へ受診することの影響について、「日本の DERI コホートの中で東京女子医大を一度でも受診した群とそれ以外群を比較したところ、女子医大群は死亡率は3分の1に減少し、末期腎不全への進展は5分の1に減少した」と我々ヤンググループの論文を引用しています(日本医事新報4259:10、2005)。
ヤンググループの業績は、平田初代所長が願った糖尿病センターのあるべき姿に少しでも近づけたいと努力した結果であったと確信しています。
早いもので、前糖尿病センター長大森安恵先生から、チャプレンとして患者さんたちの心の支えになるように、「病人をいやす」務めを行うようにと、お話をいただいてから今春定年退職するまで、丸16年が過ぎました。
カウンセリングに訪れる患者さんたちから、「病気のことは極力隠している」とか、「病気への恐れや将来への不安など誰にも話せる人がいない」、「医者は私の人生を糖尿病という身体的なものに縮小してしまい、まるで私が生きているのでなく糖尿病が生きているみたいで悲しい」など、糖尿病という病気もさることながら、生きている喜びや目的を感じられない空しい生の悲惨さや生きて行く不安を知りました。人間の悲惨さばかりに眼を向けて味わっていれば、絶望という人間としてもっと大きな「病人」になってしまいます。
合併症がこわいから、また先生の指示は何があっても守らなければならないからと、家族の楽しみや友人との付き合いを犠牲にしてぎくしゃくとした人間関係を生じさせてしまったり、恐ろしさから逃れるために遊びに時を費やしたり、次から次へと異性を求めたりと、自分の大切な時間を病気を忘れようと「努力している」人たちも知りました。本来の身体的以上の病気を抱えてしまっているのです。
いずれの患者さんたちも自分たちの限りなく複雑で豊かな生を身体的機能だけに縮小することなく、肉体的にも精神的にもスピリチュアルな領域においても、もっと豊かに生きて行きたいと願い葛藤しているのです。
グループミーティングを始めて10年以上になりますが、参加者の年齢は10代後半から60代まで幅広く、夫婦で参加されたり親子で参加されたりして、それぞれの悩みや苦しみを語り、他の参加者からの知恵や知識に勇気づけられたり、自らの来し方を省みる場となっています。時には、「自分は糖尿病だから、世間の人の理解が無いから...」などと話す参加者に向かって、「そんなに何もかも糖尿病のせいにするなよ!」といった厳しいフィードバックが返されることもよくあります。
月に一度、第2土曜日の午後1時半から4時まで、参加者たちはお互いを信じ、正直にそれぞれの思いや悩みを話し、それについて他者の意見を聞きます。話し合いのやりとりの中から、生き方すべてを「糖尿病や医者や世間」など他者のせいにするような自己を正当化する「悪霊を追い出し」、糖尿病によって失われた生の豊かさを取り戻していきます。「病気」にもかかわらず「健康」な生を生きていく援助が「病人をいやす」ことだと、グループミーティングを通じて、私はいつも実感します。
ヤング担当の先生方が受け継いでくださったグループミーティングを通じて、益々多くの患者さんたちが「いやさ」れて、そして生きて行く力を修得していくことを信じています。
長い間グループミーティングを支え励ましてくださった大森先生はじめ岩本先生、そしてセンターの先生がたやスタッフの皆様に心から感謝の意を表します。