糖尿病センター初代所長の平田幸正先生は、1985年3月、Diabetes News No.1の発行にあたって、本誌が患者さんを中心に据えたチーム医療、医療の連携を積極的に推し進めるうえで、大きな役割を果たすに違いないとの思いを述べられました。以来22年、Diabetes News 誌は、糖尿病や糖尿病患者さんをめぐるその時々の話題をとり上げ、情報を発信してきました。情報の受け手として、日々糖尿病患者さんの診療に力を注いでいらっしゃる実地医家の先生方とチーム医療で重要な役割を果たしているコメディカルスタッフの方々、そしてよりよいコントロールをめざして日夜糖尿病と闘っている患者さん達を念頭において編集してきました。
糖尿病センター医局にファイルしてある Diabetes News の第1号から第99号までのタイトルをあらためて読み返しますと、糖尿病患者数や合併症に苦しむ人達の急増振り、新しい薬や治療法の進歩、日本糖尿病学会・日本糖尿病協会の活動、さらには国を挙げての糖尿病への取り組みなど、糖尿病学や糖尿病臨床の進歩の跡をうかがうことができるように思います。
また、糖尿病センターでの診療や研究の成果の一端も折りにふれて報告してまいりました。センタースタッフが一丸となって取り組みました第40回と第47回日本糖尿病学会年次学術集会をはじめ、主宰しました多くの学会や研究会についてもその時々に報告させていただきました。
今や IT の進歩・普及により、活字離れが進んでいるように思いますが、本誌は従来から糖尿病センターのホームページへの掲載、E メールでの配信も行っていますので、今後も幅広くお読みいただければと願っています。
東京女子医科大学は、このたび、新しいビジョンとして「先進的、全人的かつ安全な医療の追求を通じて、ともに、世の人々の健康に貢献するひとを育成する」を掲げました。糖尿病センターは、新ビジョンの下での大学病院の将来像の中で、疾患別センターの中でも、もっとも伝統あるセンターとして、糖尿病に苦しむ人々に対して、ひき続き「先進的、全人的かつ安全な医療」を提供してまいります。さらに糖尿病やその合併症に対する治療のみならず、糖尿病の予防をめざすテーマについての地道な研究を継続し、これからも増え続けるであろう糖尿病に立ち向かう若い医師やコメディカルスタッフを育てる場でありたいと願っています。
糖尿病センターから発刊されている Diabetes News が滞りなく、100号も続いた事に対し、先ず関係各位にお喜びと御礼を申し述べたいと思います。この Diabetes News は1985年(昭和60年)3月に発行が開始されました。1頁の右上に描かれているロゴマークが、現在の糖尿病センターの建物を図案化しているので多くの方々は、糖尿病センター完成を記念して始められたと思っているようですが、建物が独立して、糖尿病センターがオープンしたのは1987年(昭和62年)3月ですから、現在の建物に引っ越す2年前の、1号館時代から開始されていたわけです。
平田幸正教授から私が糖尿病センター所長を受け継ぎ、私の定年退職直後に出された Diabetes News が丁度50号でした。創刊号から50号が出るまでの12年間と、51号から100号までの10年間の歩みは、糖尿病センターのみならず、日本を超えて世界における重厚かつ貴重な糖尿病学の歴史であるといえます。
もともと糖尿病センターの前身は昭和29年、初代の中山光重教授が糖尿病を専門とする第2内科を開設し、糖尿病外来や糖尿病臨床研究の地盤を築き女子医大に糖尿病教室ありを世に示したのです。2 代目教授の小坂樹徳先生はその路線をさらに押し進め、医科大学における教育、臨床、研究の三位一体の重要性を力強く叫び、実行されました。こうして連綿と続いた糖尿病教室は三代目の平田幸正教授の御就任から病院の方針で糖尿病センターと呼ばれるようになりました。
「糖尿病の神様」と言われた平田幸正先生は、前の2教授が糖尿病専門教室として精魂傾けて努力し築いた母体に、さらに新時代の息吹を吹き込んで新しいタイプの糖尿病センターを作り上げました。糖尿病眼科、小児糖尿病、糖尿病神経部門、糖尿病腎症部門、糖尿病と妊娠部門を確立し、いち早く糖尿病患者教育にも力を注ぎました。
教育は患者さんだけでなく、糖尿病を専門としない医師にも大切であると考えられ、病診連携のアイデアの一つを具現したのがこの Diabetes News でありました。東京女子医科大学本部より知らされていた糖尿病センター完成予想図をもとに、平田幸正先生はさっとこのロゴマークの下絵を作られました。当時、平田先生と私が出版した「糖尿病・正しい理解と自己管理のために」や「糖尿病のある人生」を担当して下さっていた有斐閣(株)の編集者、松本雅子さんが Diabetes News の編集、出版を受け持ち協力して下さいました。
日本の医科大学の中では糖尿病センターの形は、唯一のものでありましたし、Diabetes News の存在は実にユニークであり、果たした役割も大きかったと思います。「糖尿病センターの必要性を、ひと言でいえば病気にかかっていても、より充実した人生を求めたいという願いを、少しでも満たすためであるといえます」と平田先生は8号に書いておられます。常に膨大な内外の文献を読みこなし、糖尿病学に先見の明を示し、「患者さんのために」を最優先した先生の哲学に導かれて私達医局員一同一丸となって糖尿病学に邁進した日々は幸せでした。
Diabetes News 100号に達する歳月の中で、「インスリン50年賞」受賞者を糖尿病センターから3人も出している事は、私達の誇りでもあります。またこの間、内外ともに糖尿病学解明は急速な進歩を遂げましたが、遅々として変わらない分野もあります。2号に私は『赤ちゃんを生む女性への緊急提言』と題して計画妊娠の重要性を書きました。あの写真の赤ちゃんは、今や大卒の立派な社会人ですが、社会に計画妊娠は未だに普及していません。
100号以後私達が気迫をもってやり遂げねばならない事は山程あるように思われます。
1985年春に産声をあげた糖尿病センターの「Diabetes News」が100号を迎えました。印刷部数も4400部を超え、2002年から開始した自動配信システムを利用して講読される方々は100名余りになりました。1999年からの編集担当(三代目)者としてこれまでの皆様のご愛読にこころから感謝申し上げます。
この22年の間に、血糖降下薬の種類が増え、インスリン注射用のデバイスや針の史上稀に見る改良がなされ、DCCT、UKPDS、Kumamoto study が発表され、良好な血糖コントロールが合併症予防の最良の方法であることが証明されました。それを受けて Evidence-Based Medicine(EBM)が確立し、診療ガイドラインの策定、諸々の治療ガイドブックの出版、糖尿病療養指導士の登場と進歩してきました。脚本家とともに、演出家、主演役者、助演役者、舞台照明家、ひとつの演目を完璧に作り上げるための役者がすべてでそろったといえるでしょう。
平田幸正名誉センター長は、Diabetes News1号(1985 年)に、「たとえば、1人の小児糖尿病児の成長を考えてみますと、1人の医師のみで全ての治療をカバー出来るものではないことが分かります。本人はもちろん、小児科や内科のホームドクターと専門医、ナース、ケースワーカー、栄養士、家族、学校教師など、数えあげてみますと実に多数の人々の協力が必要となります。(中略)このたびの Diabetes News を発行する目的は、このように多様化した糖尿病に対して、患者さんも含めて治療に関与する各パートの連絡を密にし、治療効果をあげることにあるといえます。」とお書きになりました。まさしく、いずれの役目を持つ者も同程度の知識、技術をもって立ち会えることができる時代となりました。
National Diabetes Education Program(NDEP)はアメリカ政府直属の研究機関を中心に展開しはじめた糖尿病予防・啓発の教育キャンペーンです。禁煙キャンペーンで成功を収めたアメリカは、今度は糖尿病と真剣に戦い始めたのだと、今年のアメリカ糖尿病学会に参加して強く感じました。国際糖尿病連合(IDF)も昨年からUnite for Diabetes キャンペーンを展開し、昨年末の「糖尿病に関する国連決議」でさらなる力を得て、今年から世界規模で、糖尿病の啓発、教育、治療、政治的戦略、医療経済など多方面からのアクションプランが動き始めることになっています。
筋書きはできあがりました。次に実際の現場で展開される予防活動や加療が、限りある資金、人的資源および資源媒体を用いて、筋書きに沿って自動的に有効に活用されるべく作動する「しくみ」が必要になります。これができ上がっていないと、絵に描いた餅になってしまいます。
昨日視力改善を期待して初診された患者さんは、眼科医が糖尿病眼手帳に毎回記載してくれていたのですが、この手帳を内科主治医に見てもらっていませんでした。糖尿病療養指導士資格を持った薬剤師がお薬手帳記載時に懇切丁寧な説明をしてくれているのですが、どうも内科医の治療方針を理解していないと感じる場合を経験します。鍵と鍵穴のようにお互いを補って以心伝心で作動する「しくみ」を作り上げてこそ、真の患者中心のチーム医療となることでしょう。
「Diabetes News」101号から、この「しくみ作り」を徹底していくことがとても重大なことなのではと感じています。