今春、日本医学会総会が福岡で開かれた折に、柳川まで足を延ばし、北原白秋の生家を訪れることができ感激しました。亡き兼子俊男先生(山口大学名誉教授)が、糖尿病と共に生きた歴史上の有名人について一般向の講演をされた時、北原白秋が網膜症で視力を失いつつある中で、その心境を淡々と詠んだ短歌を紹介されたことが深く心に刻まれていたからです。
生家に隣接した柳川市立歴史民俗資料館の2階には、"明治・大正・昭和の三代に生きた詩聖 北原白秋"の足跡が多くの資料とともに展示されていました。壁に掲げられた"豊熟の時代"(昭和10年~17年)の年譜の昭和12年頃の記述の中に、糖尿病のことがありましたが、腎臓病と糖尿病がほとんどの同時に起こったように書かれていることが気になりました。
糖尿病と診断された時には、すでに腎機能が低下し、視力も低下していたことをうかがわせる記載でした。第二次世界大戦前のことですから、白秋を苦しめ57歳の若さで命を奪うこととなった糖尿病にも腎臓病にも、さらに高血圧に対しても薬と呼ぶべきものはほとんどなく、ただ減食・減塩と安静を強いられたであろう病床の中で、創作活動に全力を注いだ白秋の写真も強く印象に残りました。
白秋が生きた時代から60年余り。この間、医学・医療は著しい進歩を遂げ、糖尿病や高血圧に対してすばらしい薬物が登場しています。腎不全に対する透析療法も一般的に行われており、生命予後は著しく改善しています。
白秋の生家で買い求めた白秋の童謡を集めたCDを聴きながら、白秋がもしもう少し遅れてこの世に生を受けていれば視力を失うことはなかったであろう、たとえ視力を失ったとしても、もっと長生きし、もっと多くの歌や詩を残してくれたのではないか・・・と思いました。
糖尿病の患者さんにとって最も重要な課題のひとつは、いかにして合併症のない人生をまっとうするかということです。JDC Study は、2型糖尿病と診断された患者さんを対象に、合併症予防に対するライフスタイル改善の効果を長期に検討する臨床調査です。糖尿病センターの患者さんの中にも、平成8年からご協力していただいている方が多く、調査は順調に進んでおります。この調査は、当初6年の予定でしたが、その意義の重要性に鑑み、さらに6年間(予定)延長されることとなりました。
全国59施設の 2,547症例に、生活習慣の改善を積極的に介入する介入群と通常の外来管理のみを継続する非介入群に無作為に割り付けました。生活指導の介入とは、患者さんに食事量、運動量や体重などを記録していただき、それについて保健師、栄養士などが定期的に電話をかけ、パンフレットを送るなどして直接患者さんとお話し生活指導の強化を図っていくことです。
現在7年が経過していますが、6年次までの調査データでは、介入群の HbA1Cの平均は 7.62%から 7.47%と改善しました。非介入群も HbA1Cは7.78%から7.53%と改善しており、HbA1Cの低下について両群間で有意な差を認めませんでした。介入、非介入群ともに HbA1Cが改善し、6年の経過を見ても肥満度が増加していないということは、本来の研究の目的ではありませんが、海外の研究では認められないことであり、日本の医療の質の高さを物語っていると思われます。
網膜症のない人の約2割が5年以内に網膜症を発症していたこと、HbA1Cが1%上昇するごとに網膜症の発症のリスクは1.4倍になること、収縮期血圧が140mmHg以上の患者さんと130mmHg未満の患者さんを比較すると腎症の発症リスクが 2.3倍に上昇することがわかりました。
大血管障害の発症率は12.8/1,000人・年であり、冠動脈疾患と脳血管障害は大体同程度の発症頻度でした。HbA1C6.5%未満の大血管障害の発症リスクを1とした場合、8.5%以上で相対危険率は 2.5となり、LDLコレステロール100mg/dl未満の虚血性心疾患のリスクを1とした場合、160mg/dl以上の患者さんのリスクは 3.7倍になりました。収縮期血圧130mmHg未満の脳血管障害のリスクを1とした場合、150mmHg以上では 2.5倍でした。日本の2型糖尿病患者さんの大血管障害予防には血糖コントロールのみならず脂質や血圧のコントロールも重要であることが確認されました。
―糖尿病における血管合併症の発症予防と進展抑制に関する臨床調査(JDC Study)より―
2003年6月13日から17日まで、米国ニューオリンズで開催された ADA meeting に参加しました。学会はミシシッピ川に面した巨大な Ernest N. Morial Convention Center で行われ、テロに対する警戒が強まる中でも約15,000人もの参加者があり、多くの日本人も参加されておりました。最近流行のES細胞からβ細胞への分化などの基礎的研究から、合併症の case study に至るまで幅広い演題が満載でした。印象深い報告を次にのべてみます。
1993年 DCCT 報告時の平均 HbA1Cは、従来群(C) 9.1% / 強化群(I) 7.2%でした。その後始まった継続研究 EDIC の4年目の報告では、平均 HbA1C8.2% / 7.9%と差は縮まったものの、細小血管症の悪化は (I) 群の方が低値でした (NEJM 2000; 342:381-9)。今回報告された同研究8年目のデータでは平均 HbA1C8.2% / 8.0% (p<0.005) と更に差は縮まっているものの、網膜症は 63%、腎症は 83%、冠動脈石灰化は 60%のリスク減少が認められ、合併症進行は (I) 群の方が有意に低値でした。UKPDS 後の報告でも治療法間の HbA1Cの差はなくなりましたが、5年後では大血管及び細小血管症ともに有意にリスクの減少が認められました。1型、2型共に糖尿病早期の厳格な血糖コントロールの重要性が改めて示されました。ちなみに米国では1型糖尿病患者の平均インスリン量が1995年から7年間で8単位増加したそうです。これが DCCT のみの影響かどうかは分りません。米国の糖尿病医療費が年間16.9億ドルとのことですので医療経済的にも合併症予防を促すことが得策と言えるでしょう。
現在 ICA、IAA、GAD65、IA-2 と4つの major な自己抗原があり、糖尿病発症率は抗体価ではなく保有する抗体数に依存すると考えられています。これらの抗原をもとにした予防戦略では、経口インスリン、GAD65 の発表がありました。DPT-1 (Diabetes Prevention Trial - Type1) で、1型糖尿病を血縁にもつ非糖尿病者を対象に経口的にインスリンを投与して発症予防を目的とした study ですが残念ながら有意な効果は認められませんでした。後者は LADA を対象にして GAD65 を immunization した報告でした。24週間の観察期間では高用量投与群で血中抗体価の変動が認められましたが、内因性インスリン分泌をみても現時点では効果を期待するのは難しいという印象を持ちました。その他非抗原をもとにした予防戦略では抗 CD3、抗 CD4、BCG、サルモネラと S.mannsoni 等の免疫療法の発表がありましたが、いずれも動物実験レベルであり、臨床応用にはほど遠い状態でした。
今回の学会でも残念ながら糖尿病発症に関する break through はありませんでしたが、基礎的研究は明らかに進歩しており今後の発展が期待されます。