DIABETES NEWS No.38
    No.38
     1994 
     SUMMER 
 

ある患者さんの例
 ずっと長いこと診ている患者さんの一人に、お母さんが donor となって生体腎移植に成功した患者さんがいる。彼女は 1971年 津田塾大学3年生のとき突然糖尿病に罹患し、ずっと私たちの治療管理下にあった。大学卒業と同時に結婚し、24歳で第1子、29歳で第2子を分娩した。ここまではまことに順調な経過であったが 1981年の夏、虫さされが原因で左下肢の蜂窩織炎、ついで難治性のカンディダ性腎孟腎炎に罹患、徐々にクレアチニンが増加して 1986年10月にはついに血液透析を導入された。
 通常、糖尿病発症初期から糖尿病の治療を厳格に行い、妊娠分娩を経た人は 30年経っても腎症にならないのであるが、彼女の腎不全は、高血糖が長期間持続した結果よりも、軽い腎症に腎感染症が加味して腎不全に陥ったものと考えられる。透析導入から1年後、彼女は母親からの腎移植を受けて透析の束縛から解放された。そしてすがすがしい体調のもとで再び社会活動に復帰できるようになったことを大そう喜んでいる。

若年者に腎の提供を
 今、糖尿病を長年放置した結果、腎不全になって血液透析を必要とする患者さんが年間 6,000人以上にも達し、大きな社会的、医学的問題になっている。
 透析療法は、腎症を持つ患者さんにすばらしい延命効果をもたらしてはくれた。しかし、1回5時間を要し、週3回となるとかなり社会活動と社会生活がはばまれる。腎不全に陥る人の中には、若年糖尿病者もかなり含まれており、腎移植を受けられたらどんなに良いかと思うことがしばしばである。
 私の大学には、腎臓病総合医療センターがあって、1,000例以上の腎移植の実績をもっておられるが、糖尿病性腎症例に対する腎移植は 21例しかない。この discrepancy は一体どこからくるのであろうか。
 糖尿病があっても腎症にならない努力を社会に普及させることが先ず先決ではあるが、すでに腎不全に階った若い方々に腎臓の提供は不可能であろうか。
 


糖尿病は多様性のある疾患の集まり
 糖尿病は症状、病態生理、合併症の進行などに多くの共通点を持ちながら、原因、遺伝的背景、発症の仕方、インスリン作用不足の程度、治療に対する反応などにおいては多様性のある疾患の集まり(症候群)と考えられています。とくに、糖尿病患者の 90パーセント以上を占めるインスリン非依存型糖尿病(NIDDM)は何らかの遺伝素因を持つ人に、肥満、過食、運動不足、ストレス、加齢などの環境因子や後天的要因が加わって発症するものと考えられていますが、不均一で幅広い患者を含んでいます。

糖尿病の原因遺伝子
 近年、分子生物学の進歩によって、糖尿病の原因遺伝子に関する研究にも大きな前進がみられました。インスリン遺伝子の異常によって、作用の弱い、異常なインスリンが作られたり、プロインスリンの構造異常のためにインスリンヘの転換が障害され糖尿病を発症する症例が報告されました。また、遺伝子の異常によってインスリン受容体の異常が起こり、インスリンの結合やインスリンの作用の低下を示す糖尿病も 50例以上発見されています。

グルコキナーゼ遺伝子とミトコンドリア遺伝子の異常
 糖尿病の原因遺伝子として最近注目されているものにグルコキナーゼ遺伝子とミトコンドリア遺伝子があります。グルコキナーゼは、膵β細胞と肝臓においてブドウ糖の代謝に重要な働きをする酵素です。その異常によって糖尿病が起こることが想定されていましたが、実際に欧米の MODY(maturity-onset diabetes in the young)の家系でグルコキナーゼ遺伝子の異常が高頻度にみとめられました。日本でも少数ですが同様の症例が報告されています。
 一方、2年前、難聴を伴い母系遺伝を示す糖尿病の家系にミトコンドリア遺伝子の異常が発見されました。その後、多数の糖尿病患者を調べた報告では、日本でも糖尿病患者の1パーセント程度にミトコンドリア遺伝子異常がみられることが明らかになりました。遺伝子異常によって膵β細胞のミトコンドリアの機能が低下し、インスリン分泌の低下が起こるものと推定されています。
 このように、ごく一部の症例では遺伝子異常が明らかですが、大多数の NIDDM においては、遺伝因子や何が遺伝するかについては今も明らかではありません。

原因にかかわらず高血糖の是正が重要
 NIDDM におけるインスリンの作用不足にはインスリン分泌不全とインスリン感受性低下の両者が関与しています。そして、前者には膵β細胞における種々の要因が、また後者にはインスリンの標的組織における種々の要因が想定されています。遺伝因子と環境因子の関与の程度や、インスリン分泌不全とインスリン感受性低下の関与の程度は症例によって異なり、この点においても多様性がみられます。しかし、原因の如何にかかわらず、日常臨床で高血糖の是正が必要であることはすべて同じであります。
 


望まれる早期是正
 糖尿病では一般に凝固因子の増加と線溶現象の低下があり、これに血小板機能の亢進や赤血球変形能の低下等が加わり、凝固亢進状態になっているとされています。近年血小板機能のみならず凝固系や線溶能を表すマーカーも種々開発され、糖尿病においても測定されるようになってきました。この凝固線溶系の異常は糖尿病の中でも細小血管合併症の進行した例に多いとされていますが、一方では大血管障害も引き起こす可能性があるので早期に是正することが望まれます。

血小板機能異常
 糖尿病では血小板凝集能の亢進、血小板粘着能の亢進、血小板寿命の短縮とこれに伴う巨大血小板の増加、血小板特異蛋白であるβ-トロンボグロブリンや血小板第4因子の増加などが認められています。また von Willebrand 因子が増加しており、粘着能亢進に重要な役割をもつと考えられています。
 血小板が活性化されると血小板凝集や、顆粒の放出に促進的に作用するトロンボキサンA(TXA)が合成されますが、糖尿病ではこの TXA合成の亢進が見られます。さらに糖尿病では血小板凝集を抑制するプロスタサイクリン(PGI)の血管壁での産生の低下や、血小板の PGIに対する反応性も低下しています。

凝固系の異常
 糖尿病ではフィブリノーゲン、第V、VII、VIII、XIII 因子など多くの凝固因子の上昇が報告されています。トロンビンの産生を反映し、凝固活性化の指標となるトロンビン・アンチトロンビン III 複合体(TAT)は糖尿病患者では上昇しているという報告があります。当センターでの結果でも特に動脈硬化性変化の強い患者で TAT が高値を示していました。

線溶系の異常
 一般に糖尿病ではプラスミノーゲンをプラスミンに変換する酵素である組織プラスミノーゲンアクチベータ(tPA)活性の低下、その阻止因子であるプラスミノーゲンアクチベータ・インヒビター1(PAI-1)活性の上昇があり、線溶能は低下しているといわれています。しかし最近では報告により異なり、線溶能における一定の結果は得られていません。当センターで足に壊疽を有する糖尿病患者で線溶能を検討したところ、線溶亢進状態であるという結果を得ました。
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 糖尿病にみられるこの様な異常は高血糖そのものによる変化と、血管障害により起こる変化の両者が影響していると考えられます。血栓予防のため、また動脈硬化進展阻止のためにも凝固亢進状態の改善、すなわち早期からの高血糖の改善、必要に応じて抗血栓療法、抗血小板療法などが重要になると思われます。

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